ライター: 美容ジャーナリスト Satoko

日本を代表する美容家であり、エステティック業界のパイオニアとして知られる「たかの友梨」さん。その華やかなイメージの裏には、数々の苦難を乗り越えてきた力強い女性の姿がありました。

この記事では、2026年1月現在、78歳を迎えてもなお第一線で活躍し続けるたかの友梨さんの、フランス留学から「たかの友梨ビューティクリニック」創業までの道のりを、最新情報も交えながら時系列で詳しくご紹介します。

フランス留学以前:波乱万丈の少女時代から美容の世界へ

たかの友梨さんの人生は、決して平坦な道のりではありませんでした。その原点を探るべく、まずはフランスへ渡る前の歩みを振り返ってみましょう。

生い立ちと「手に職」への決意 (1948年〜)

1948年、新潟県南魚沼郡湯沢町で生を受けた、たかの友梨さん。しかし、3歳の時に養子に出されるという複雑な幼少期を過ごします。中学時代に自身が養子であることを知りますが、育ての親への感謝から「この親に恩返しをしなければ」と強く決心したといいます。

養母からの「女性でも手に職を持たなくちゃダメよ」という言葉が、彼女のその後の人生を決定づけました。高校は定時制に通いながら、16歳で理容学校に入学。まさに「人生は二毛作」という彼女の座右の銘を地で行く生活の始まりでした。

年代出来事
1948年新潟県で生まれる
3歳養子に出される
16歳定時制高校に通いながら理容学校に入学

理容師から化粧品販売員へ:東京での下積み時代

「日本一の床屋になる」という大きな夢を抱き、群馬での4年間の修業を経て上京。しかし、東京での生活は想像を絶するほど過酷なものでした。昼は理容室、夜は皿洗いのアルバイトと、文字通り休みなく働き続けた結果、心身ともに疲れ果て、顔はニキビだらけになってしまいます。

そんな彼女の転機となったのが、薬局の化粧品売り場で出会った一人の美しい販売員でした。彼女に勧められた化粧品で肌が改善したことに感動し、「化粧品の仕事も素敵だ」と美容の世界へ足を踏み入れることを決意します。

外資系化粧品会社では、持ち前の勤勉さで頭角を現し、プロモーション課へ異動。接遇やホスピタリティを学び、外見が磨かれていく中で「綺麗であること」の重要性を身をもって実感することになります。

フランス留学とエステへの開眼 (1972年)

24歳になった1972年、新聞で目にした「フランスでエステティックが静かなブーム」という記事に衝撃を受け、「これだ!」と直感。それまで貯めた全財産を手に、単身フランスへ渡ることを決意します。

言葉の壁に苦労しながらも、理容師として培った技術と持ち前の勤勉さで、現地のサロンで研修生として働くチャンスを掴みます。本場フランスで8ヶ月間、エステティックの神髄を学んだこの経験が、後の「たかの友梨ビューティクリニック」の礎となりました。

「努力もしましたけど、運が良かったのね。いろんな人に助けられて、助けられて、今があるんです」

創業、そして日本エステ界の第一人者へ (1973年〜)

帰国後、たかの友梨さんの快進撃が始まります。フランスで得た知識と経験を元に、日本の女性たちを美しくしたいという情熱は、大きな形となって花開いていきました。

「たかの友梨ビューティクリニック」の誕生

1973年に帰国すると、すぐに株式会社東京美機を設立し、本格的な美顔器「ヴィッキー」を開発・発売。そして、5年後の1978年、30歳という若さで「たかの友梨ビューティクリニック」の第1号店をオープンさせます。

体の自然治癒力をサポートすることで素肌を健やかに美しくするという彼女の提唱するエステティックは、多くの女性たちの支持を集めました。さらに、後進の育成にも力を注ぎ、エステティシャン養成学校も同時に開設しています。

現在も続く美への探求と社会貢献

創業後も、アメリカで脱毛技術を学ぶなど、常に世界最先端の技術を取り入れ、日本のエステ業界を牽引し続けています。その功績は国内に留まらず、2017年にはIPSN(国際職業標準機構)から栄誉賞を受賞しました。

また、児童養護施設への支援やカンボジアへの学校寄贈、災害支援など、社会貢献活動にも非常に熱心です。その活動が認められ、紺綬褒章を2度受章しています。

たかの友梨のプライベートと人物像

仕事に人生を捧げてきたように見えるたかの友梨さんですが、そのプライベートはどのようなものなのでしょうか。

公の場で語られることは少ないですが、彼女の結婚や旦那さんについて関心を持つ人も少なくないようです。プライベートな情報はほとんど公開されていませんが、例えば、結婚を控えた女性が「たかの友梨さんを薦めてくれた優しい旦那さんのためにも綺麗になりたい」と語るエピソードがあるように、彼女のサロンが多くのカップルにとって特別な存在となっていることが伺えます。

「依存」と「退屈」という言葉は私の辞書にはない、と語る彼女。その前向きでエネルギッシュな姿勢は、多くの女性に夢と希望を与え続けています。

まとめ

新潟の少女が「日本一の床屋」を夢見て上京し、フランスでの修行を経て、一代で日本を代表するエステティックサロンを築き上げた物語は、まさに波乱万丈そのものです。

たかの友梨さんの歩みは、逆境に屈せず、常に前を向き、自らの手で道を切り拓いてきた力強い女性の生き様そのものです。2026年1月には「第32回たかの友梨エステティックシンデレラ大会2026」が開催されるなど、彼女の美への情熱はこれからも尽きることはないでしょう。

最終更新日 2026年1月30日 by weetso